うちの猫のポチは貝原益軒猫です。
つまり、大体は腹八分で暮らしています。

工房を何日か留守にするときは自動餌やり器で餌をやるんですが、自動といっても、一定時間で一定の餌が出てくるなんて凝ったものではなく、小さな穴から自分で掻き出した分だけ食べられるという、昔の鳩や鶏の水やり器のようなもんです。

今でもあの水やり器はあるのかな?
あれは重力と大気圧を使った良くできたものでしたね。

スポンサーリンク

久しぶりに会うと豚ネコに!

写真のように、上から餌を入れるとサイロのように漏斗状に下っていって、下の小さな出口から取った分だけ出て来るというものです。

餌は簡単には手に入らないのですが、努力した分だけは食べられるので、1週間くらい工房を留守にして戻ると、フンギャーと不満の声を発しながら出てくるので観てみると、見事に豚ネコと化しています。

ラットの実験が有名ですが、どんな動物でも飽食しているものは短命だそうです。ラットの実験では、飽食ラットよりも腹八分ラットのほうが150%も長生きしています。

ですから、工房に戻ってくると直ぐに自動給餌器は閉じて手動に切り替えています。
まあ、単に皿に適当に餌を入れるだけですが。

いちいち餌皿に入れるより、給餌器の餌が出る所に開閉できる蓋を付けておくといいかもしれませんね。う~んそれがいいかも・・・

突然ですが貝原益軒の養生訓です

貝原益軒の養生訓は有名ですが、一言で必要十分にその内容を言い表すことができます。

それは、「遠くて近いものを腹八分に」という簡単な言葉です。

「遠くて」というのは、人間の種から遠いということですね。牛とか豚よりも鶏、さらに鶏よりも魚、大きいマグロのような魚よりも小さいシラスのような魚、魚よりもオキアミのようなプランクトン。といった具合です。

これは一物全体に繋がり、イノチを丸ごといただくということで、より完全食になるということですよね。マグロは骨もはらわたも食べませんものね。

ポチはネズミを取ってくると丸ごと食べてしまいます。食べる前に遊んで放り投げるので、机の上に着地するなんてーことがままあって、閉口していますが!

江戸では、白米ばかりを食べて脚気で亡くなる人が大勢いたそうですが、現代でもトロのにぎりばかりを食べていたら相当にオカシクなると思いますよ。

「近いもの」というのは、十里四方のものということで、現代風に言えば、自分が住んでいるところの40km四方以内で採れたものということですね。
地球の裏側の牛なんて~のは、貝原益軒が聞いたら腰を抜かすでしょうね。

「腹八分に」は字句通りです。ですから、猫でも犬でも、餌の皿にいつも餌が入っていて、豚ネコや豚犬になっているのは気をつけてください。

豚ブタと言って豚には失礼していますが。さすがに豚人とはいいませんね。

ポチの餌は、お魚と野菜のミックスというものですが、たぶん魚は丸ごとすりつぶしていると思うので、まあいいかなって思っています。

スポンサーリンク

タマゲマシタ!

ポチの餌を買いにペットショップに行ってブッタマゲました。
これですよ。コレッ!

ナンタルチア!
カモジーが食してるものより高級そうではないの!

カモジーが中学生の頃に捨て猫を拾って来て、飼っていたのが今のポチと違って「ミー」という猫らしい名前の雌猫でしたが、なにせ半世紀以上前のことで、ペットショップなんて~シャレタもんは無かったように思います。

ですからペットフードなんて~物もなく、ネコマンマと言って人間様が残したサンマの骨やらなんやらを混ぜて与えていたように記憶しています。なんかご飯も混ざっていたような・・・なんだ贅沢じゃん!

それでも19歳まで生きていました。現在の標準でも結構長寿の方だと思いますが。

まとめ

須らく動物は、ヒトもネコも健康で長寿が一番ですね!

貝原益軒先生の養生訓を参考に、健やかに長生きすべしですね! オーッ!

スポンサーリンク