カモジーが知っている旧海軍の強運艦と言えば「雪風」と「宗谷」ですね~
初代南極観測船の宗谷は2008年(平成20年)に古希のお祝いをやったそうです。
今(2018年・平成30年)から10年前のことなので、現在は80歳!
ということは、1938年・昭和13年の進水ということですね。
カモジーより十歳年上です。
元気だなー! ご同慶の至れり尽くせりだー!
この前、どんなきっかけだったか忘れましたが「奇跡の船、宗谷」桜林美沙著 という本を読みました。
女子アナがなんで宗谷の物語を?・・・なんて思ったからかもしれませんね。(笑)
いつの間にか強運艦と名がついた
宗谷は本当に不思議な船です。
最初から不思議と言えば不思議だ。
大手の造船所が軍の艦艇を一手に引き受ける中、昭和13年に新興の川南工業という造船所がようやく当時のソ連邦から3隻の砕氷輸送船を受注したのです。
が、引き渡し間際になって、海軍から「敵性国への引渡しは相成らぬ」ということで、輸出はできなくなってしまったのです。
仕方なく国内で民間の船として運用されていましたが、どしてくれんのよ!てなわけで、翌年、海軍に編入され、その時に宗谷海峡から採った「宗谷」という艦名になりました。
数々の作戦に従事するうちに、いつしか「強運艦」と呼ばれるようになってきたのです。
例えば、作戦中に敵潜水艦の放った魚雷が命中したのだけれども幸運にも不発で、艦首に魚雷が突き刺さったまま帰投したとか。
トラック島での艦隊停泊中に受けた空襲で、回避中に座礁するも、翌日には自然に離礁していて、ただ一隻帰ってきたとか。
いつも作戦から無事に帰投するのは宗谷だけということが重なり、強運艦と言われるようになったのです。
一説には、艦内に祀ってある宗谷神社のおかげであるという話もあったそうです。
余談ですが、カモジーの親父殿は、潜水艦にやられて乗っていた船は真っ二つになって沈んだって言ってました。
南極観測船として生まれ変わる
戦争が終わった時には、大きさもたいしたことはない船(約2,500t)だったので接収を免れ、復員船として活躍することになり、約2万人を乗せて帰って来てくれました。
元々は砕氷船型として設計されたため、普通の船と違って船底の断面が円形に近かったのでローリングが激しく、復員の方も大変だったそうです。
カモジーの親父(フィリピンで米軍の捕虜)もこれで帰ってきたのかもしれないな~と思うと感慨深いですね。
その後は灯台補給船になり、各地の灯台守から心待ちにして慕われていたそうです。
昭和30年(1955)の国際地球観測年に日本も参加することになって、南極へ行くことなったのですが・・・
南極に行くためには砕氷船が必要なんですが、その頃の日本は貧乏で、とても新造するお金なんてありません。
困ったな~どうしようかということで、仕方なく砕氷型だった宗谷に白羽の矢が立った。
余談ですが、おもしろいことに、この時同じような名前の砕氷型の連絡船「宗谷丸」(似た名前ですが別の船です)も候補になったんですね。
改装費も四苦八苦だったので、新聞社が呼びかけ、募金を公募しました。
カモジーは募金をした記憶はありませんが、あの時は全国民的に熱狂したのも確かです。
初めて宗谷の姿を見たのは、たぶんニュース映画で第一次の出港の様子を映したものだったように思います。昭和31年(1956)のことで、筆者小学生の頃でした。
氷に閉じ込められた宗谷を救いに行ってくれたのが、元来は宗谷の嫁ぎ先になるはずのソ連邦のオビ号だったというのもなにやら因縁めいています。
第二次観測隊の時は十何頭かの樺太犬を置いていかざるを得ない状況に陥ったりしました。
この時のことは映画「南極物語」のテーマにもなりましたね。
第6次までを務めあげて、昭和37年(1962)に帰港して無事に役目を終えたのです。
昭和38年(1963)からは 北海道の海上保安本部の巡視船として、北の海で活躍することになり、持ち前の砕氷能力を活かして、漁船など125隻、約1,000名を救助し、今度は「北の海の守り神」と呼ばれることになりました。
そして、普通の船のなんと2倍の船齢40年!が経った昭和53年(1978)、ついに引退することになったのです。
余生はお台場の船の科学館でのんびりしてます
そのままでは危うくスクラップにされるところでしたが、またしても奇跡が起きて全国で助命嘆願運動が沸き起こって、東京の「船の科学館」が保存先となり、余生を送ることになったのでした。
連合艦隊のなかで、ただ一隻残っている記念すべき船です。大事大事。
一度宗谷をナデナデしに行ってください。
宗谷ジーちゃん喜びます。バーチャンかもしれないけど・・・
昭和54年(1979)5月1日より「船の科学館」の前面水域で一般公開を開始。
平成28年(2016)9月新客船ふ頭建設のため対岸に移転、。
休止期間を経て平成29年(2017)4月1日より再公開。
今年(2018)は生誕80年ということで特別なイベントをやっています。
→ https://funenokagakukan.or.jp/
お台場で憧れの宗谷チャマに乗ってきた
小学生の時にニュース映画で見て以来、初めて本物の宗谷に会いにいくことにしました。
なんと入場料は無料ですが、乗船時に「宗谷保護に関する協力金(額は任意)」を求められます。カモジーもほんの気持ちばかりをチャリリンとしてきました。
船に入る前に外観を見てビックリしました。アレッどこにあるんだ?って感じです。
お馴染みのオレンジの船体の宗谷ですが、ニュースなどを見て想像してたものよりもはるかにはるかに小さかったのです。
同じ2000tクラスでもスマートな駆逐艦なんかに比べると、ずんぐりむっくりしてて長さが短いからでしょうか。
よくもまあこんな小さな船で南極へ行ってきたものだと感心しましたね~。
ちなみに、現行の2代目「しらせ」は約5倍の12500tあります。デカさがまるで違う!見上げるって感じだ。
艦橋やエンジン室や越冬隊員がいた船室(狭い!)などを見て回って、映像などが見られる資料室に行くと、越冬隊員OBの方がボランティアで懇切丁寧に説明してくださいました。
やっぱり実際の体験談を聞くと臨場感があって、違う見方ができるもんです。
船内に入っても、よくもこのスペースに77名の乗組員、53名の観測隊員、22頭のカラフト犬、1ぴきのネコ、2羽のカナリヤ、南極基地の建物や雪上車など400トンの貨物を詰め込んで行ったものだと改めて感心することしきりです。ホントにビックリ!
犬やネコのトイレはどうしたんだろうと、いつもネコトイレで泣かされているカモジーは本気で心配したのでした。残念ながら、そのことを元隊員の方には聞きそびれてしまいましたが。(笑)
宗谷への行き方は?
電車で行く
新交通「ゆりかもめ」新橋駅(17分)豊洲駅(14分)より、「船の科学館駅」下車
東京臨海高速鉄道りんかい線
「東京テレポート駅」下車…徒歩約12分
バスで行く
都バス(「船の科学館駅前」下車)
[海01]…地下鉄「門前仲町駅」より「豊洲駅前」経由「東京テレポート駅前」行き
[波01出入]…「品川駅港南口」より
「東京テレポート駅前」行き
車で行く
【首都高速】首都高速湾岸線 横浜・大井・品川方面より東京港トンネル通過後「臨海副都心」出口、千葉・小菅・箱崎方面より「有明」出口、首都高速11号線…竹芝・芝浦方面より「台場」出口
【一般道】
臨港道路(レインボーブリッジ下層)「台場」出口
【開館時間】 10:00~17:00
【休 館 日】 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)、年末年始(12/28~1/3)
〒135-0092 東京都品川区東八潮3−1
電話 03-5500-1111